仕事の原理

 

仕事の原理の学習では道具を使っても仕事の大きさは同じだという概念を学習します.

この学習の際に,私は「定滑車と動滑車を使って同じ重さの荷物を持ち上げる場合,どちらが仕事は得するか?」という課題をよく用いていました.



どちらが得をするのかという問い方は非常に俗っぽいのですが,きっと生徒たちは荷物を運ぶ際にはさぼりたいのではないかと考え,あえて「得」という言葉を選びました.

授業ではまず予想を立てさせます.その際は同じ重さのおもりをつけた定滑車と動滑車を自由に触らせます.そうすると,定滑車よりも動滑車の方が「軽い」ことに気がつきます.さらに,もう少し経つと動滑車の方がひもを多く引かなければならないことにも気づいていきます.

その途中で,理科で学習する「仕事」はどのようにすれば求められたかを思い出させます.
「仕事=力の大きさ×力の向きに動いた距離」だという概念を用いて思考させたいというねらいです.

しばらくしてから全員の予想を聞いていきます.
予想は次の3つのうちから選ばせます.
「定滑車が得をすると思う」
「動滑車が得をすると思う」
「どちらも同じだと思う」

みなさんは,中学生がどのような予想を立てると思いますか?
私の経験では,ほとんどの場合「どちらも同じ」が予想の大半をしめます.
少し前に大学生に同じ質問をしても同様な結果でした.

その後,どうしてそのような予想を立てたのかを生徒たちと共有し,再度予想を検討させます.しかし,これまでの経験からすれば,最初に立てた予想を変える者はほとんどいません.

そして実際にばねばかりを使って力の大きさと手を動かす距離を測り,どちらが得をしているか=仕事が小さいかを計算で求めさせます.

結果は当然,定滑車の方が仕事は得をしています.

私が「定滑車と動滑車を比べると定滑車の方が仕事は得をします」というと,自信をもって「どちらも同じ」と予想していた生徒たちは,ほぼ全員「先生.卑怯だ!」という顔をします.また,「滑車の重さやひもの摩擦などは考えないはずです」と反論する者もでてきます.
私は「そんな条件など一言も言っていない」とその意見を突っぱねることにしています.

このような予想を立ててしまう生徒の傾向は何を教えてくれるでしょうか?
おそらくそれは,「仕事の原理」の浅い知識(=テスト問題を解くためだけの知識)が,実物をじっくり観察して思考しようとういう行為をストップしているからだと私は推測します.テストでは必ず「滑車の重さやひもの摩擦などは考えない」こととすると記されているからです.しかし,現実の世界ではあり得ない話です.

このことを私に印象付けた生徒があるクラスにいました.その生徒の話をします.

そのクラスでの授業でも,ほとんどの生徒の予想は「どちらも同じ」でした.しかし,ただ1人「定滑車が得をする」と言い張った生徒がいました.その生徒の意見は「動滑車は滑車自身も一緒に持ち上げているので,損をするはずだ」というものでした.しかし,残念ながらその意見を聞いてもほとんど予想を変える者はいませんでした.
推測ですがこの理由は,このクラスの賢いと思われている生徒の多くが「どちらも同じ」だと自信を持っているのに対し,この生徒はそれほど成績がよい生徒ではなかったので,「滑車も一緒に持ち上げている」という決定的な証拠を用いて予想しているにも関わらず,他の生徒はその意見を素直に聞き入れなかったからではないでしょうか.その瞬間,実際の現象を自分で見て,自分で思考する行為が完全にストップしていたように私には見えました.

私は結果をまとめた後,「定滑車が得だ」と言い張ったこの生徒の観察力を賞賛しました.この生徒のように,自然現象をありのままに観察し,その事実から物事を思考するという理科の本質がこの生徒の行為から見受けられたからです.

仕事の原理を教える際には,滑車やひもの重さ,そして摩擦力などが重要なはたらきをしていることを実感させておかなければ,実際の現象を見るときに妨げになります.仕事の原理が実際の自然の中では働かないことを学習した上で,もし,〇〇であれば仕事の原理が成り立つということを学習するようにした方がよいと私は考えます.




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